大人のための英会話学習空間にようこそ!
当メディアの管理人、とりしまです。
数ある英会話関係のメディアの中から当メディアを訪問していただき大変光栄に思います。
ここでは管理人とりしまの事、そして当メディアについて紹介しています。
母親の影響で英語を始める
私の母親はどうやら外国の文化に興味があったようです。
毎週のように金曜ロードショーがテレビに映っていましたし、ラジオからも洋楽が流れていたのを覚えています。
そんな中、幼児教育に熱心だったとはいえない母親が私に習い事のチョイスを2つ用意しました。
それが「習字」と「英会話」だったのです。
おそらく小学校低学年だったと思うのですが、近所のおばちゃんが英会話を教えていたのでそこへ姉と一緒に通い始めました。
昨今のような「第二言語習得研究」に基づいて作られた教材でもなんでもなく、フラッシュカードで単語を覚えたり、そのおばちゃんの後についてフレーズを言ったり、その程度のものだったと思います。
成長につれ、そのおばちゃんの下で公文式をやったり、学校の宿題をしたりと英語学習は続きました。
そのおかげで中学の頃英語の授業につまづきは全くなく、成績も良かったです。高校に進学した後も素晴らしい成績ではなかったものの選択教科は常に英語を選んでいました。
おそらく英語が好きだったのです。
初めてのホームステイで撃沈
聴く音楽は常に洋楽、一時期香港映画にハマったもののハリウッド映画が大好きでよく映画館に足を運んだものです。
高校の頃部活動に明け暮れていたので英語以外の成績はお粗末なもので、大学への受験勉強に注力する気はさらさらなく専門学校へと進み、そこでさらに英語を学びました。
通っていた学校の交換留学プログラムに参加し、アメリカでホームステイをした2週間は地獄そのもので、全く聞き取れない喋れないのダブルパンチでした。ホストファミリーとは単語だけでの最低限の連絡事項だけという悲しい結果となります。
しかし懲りない私は帰国後猛烈に勉強して新たなる挑戦の準備に取り掛かるのでした。
2度目の渡米後も撃沈の連続
今でも忘れられないことがあります。
専門学校を卒業した後も在学中からのバイトを継続し、まとまった資金を作って再渡米を試みました。
この時は留学エージェントを通して学校やハウジングを決め、軍資金から見積もっておおよそ1年強の滞在計画です。
アメリカに到着して入国審査をするためにソワソワしながら自分の番を待っていました。
“Next”
呼ばれたので前に進むと恰幅のいい黒人女性がじろっと見て、ものすごい勢いで質問してきました。
(彼女にとっては普通に入国審査をしていただけです)
パニクりましたが、なんとか質問に答えてパスポートにハンコをついてもらえました。
その時彼女が「留学ってあんた、全然英語喋れなくて大丈夫なの?」と言ったのを表情と雰囲気で読み取ることができました。
来た早々に撃沈です。
日本に蜻蛉返りしようかと思いました。
語学留学から現地採用を経て移住
当時(90年代末)は気軽に短期留学ができる時代で、私が申し込んだところも特にアジア人留学生がたくさんいました。
2度目の渡米とあって、少しは勝手知ったるではありましたがやはり撃沈の連続です。
しかし、じわじわと英語でのコミュニケーションが楽しく感じられるようになっていきました。
もっと喋りたい
次はこう言おう
ぜんぜん聞き取れない
単語がわからない
勘違いした
この繰り返しが6年ほど続いたと思います。
語学学校を辞めて現地で専門学校に入学、卒業後現地採用されてその後20年近く在米することになりました。
現在はアメリカを離れて別の移住先の国で現地の言語を一から学びつつ、英会話講師として地球のどこかでレッスンをしています。
大人のための英会話学習空間について
当メディアでは、20年という在米期間で管理人が実際に体験してきた英会話取得方法のコツ、大人ゆえに活用したい学び方、将来海外で活躍したいと考えている人へのアドバイスやネイティブ独特の英語的表現などをまとめていきます。
最近利用者の多いオンライン英会話についても「講師目線」で情報をお届け!
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そんなあなたが今度こそ英会話力を身につけることができれば嬉しいです。
管理人とりしま
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