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7月4日アメリカ独立記念日!挨拶と一緒に知っておきたい歴史

Did you know?! 英語の豆知識
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アメリカ—
多くの人にとって、夢を追い求める国、そして文化の発信地。最近、ニュースでは物騒な話題が増えているものの、それでもアメリカは今なお、世界中の人々にとって憧れの地であり続けています。

英語を学ぶあなたにとっても、アメリカは言葉の学びと同時に、文化や歴史を深く感じる場所。特に、7月4日の独立記念日は、アメリカにとって特別な意味を持つ日です。
自由と独立を象徴するこの日に触れることで、アメリカの歴史と文化をもっと身近に感じられることでしょう。

さて、あなたもきっと「アメリカ独立記念日って、どうして戦争中に宣言したの?」「ワシントンが大統領になった経緯は?」と、当メディア管理人とりしまと同じような疑問を抱くかもしれません。
みなさんもとりしまと一緒に知れば知るほど出てくる疑問を解決しながら、アメリカ独立記念日について一緒に学び、アメリカの心を感じてみましょう。

Contents
  1. 7月4日はどうやってお祝いする?挨拶の仕方と過ごし方
  2. アメリカ独立宣言って何?なぜ独立したの?
  3. 独立宣言がされた場所と、そのメンバーは?
  4. ということは独立宣言って、戦争中にあったの?
  5. 戦争勝ってから宣言するならわかるけど、戦争中にするなんてすごいね。勝てそうってわかってたの?
  6. じゃあなんでワシントンが初代大統領になったの?みんなやりたくなかったの?
  7. ワシントンは戦争してたんでしょ?五人委員会(Committee of Five)と連携取れてたの?
  8. じゃあ、ワシントン、えーーーー?宣言した?ってギョッとした可能性ある?
  9. ふーん、そんで戦争終わってから1月20日に就任したんか
  10. あれ、独立宣言の翌年にワシントン就任してないの?
  11. じゃあやっぱこの戦争中の独立宣言ってすごくない?
  12. 独立記念日の意味とその後の影響
  13. アメリカ独立記念日を祝う気持ちを深く理解しよう

7月4日はどうやってお祝いする?挨拶の仕方と過ごし方

アメリカの独立記念日、7月4日はどんな風に祝われているのでしょうか?この日を迎えるアメリカ人は、友達や家族と集まって、楽しい時間を過ごすことが多いです。
さて、英語でこの特別な日をどうお祝いするか、少し見てみましょう。

一番簡単でよく使われるのが、「Happy 4th of July!」(ハッピー・フォース・オブ・ジュライ!)です。これなら、親しい友人やSNSの投稿でも使える万能なフレーズ。友達にメッセージを送る時や、アメリカの人と話す時に使ってみてください。

もう少しフォーマルに祝いたいなら、「Happy Independence Day!」(ハッピー・インディペンデンス・デイ!)もおすすめ。これで、アメリカの独立を祝う気持ちがより伝わります。

もし、相手が独立記念日を楽しんでほしいという気持ちを込めて言いたいなら、こんな表現も素敵ですね。

  • Enjoy your 4th!(フォースを楽しんで!)

これらのフレーズを覚えておくと、アメリカの人たちと会話が弾むこと間違いなしです。

とりしま
とりしま

もっと短いバージョンだと、Happy 4th!とかも人気。
でも意外とあまり聞かないのがHappy Birthday America!
あっても良さそうな感じなのにほとんど聞いたことないです。

独立記念日の過ごし方

さて、アメリカ人が実際に独立記念日をどう過ごしているかを見てみましょう。

  1. バーベキュー (BBQ)
    7月4日と言えば、やっぱりバーベキュー!家族や友人と集まり、お庭や公園でグリルを囲むのが定番です。ハンバーガー、ホットドッグ、焼きトウモロコシ(コーン・オン・ザ・コブ)など、アメリカの夏の味が堪能できます。
  2. 花火 (Fireworks)
    夕方になると、各地で花火が打ち上げられ、夜空を彩ります。特にワシントンD.C.のナショナル・モールニューヨークのイースト川で行われる花火は有名で、数万人が集まり、大規模な花火大会が開催されます。東海岸ではこの日、特に盛り上がりを見せ、アメリカ中から多くの人々が集まります。
  3. パレード (Parades)
    日中には街中で華やかなパレードが行われ、星条旗を掲げた人々が行進します。街全体が祝祭ムードに包まれ、どこもかしこもお祭りのようです。特に、**スーザ(John Philip Sousa)**の行進曲がパレードでよく演奏され、アメリカらしい活気を感じさせてくれます。スーザの音楽は、独立記念日やその他の祝祭で聴くことができ、アメリカの伝統的な音楽として今も愛されています。
  4. コンサート (Concerts)
    ボストンでは毎年恒例のボストン・ポップス・オーケストラによる「Boston Pops Fireworks Spectacular」が開催され、音楽と花火の共演が楽しめます。音楽と花火のコラボレーションは、まさに独立記念日の名物です。
とりしま
とりしま

July 4thといえば、これ!
聞いたらうぁーアメリカ🇺🇸って気分になります。
下の動画で指揮をしているのはとりしまが長年ファンをしているグスターボ・ドゥダメル。
彼がまだLAフィルに在籍していた頃、わざわざLAに見に行きました。

出典:Sony Classical
※掲載している動画リンクは、英語学習を目的として紹介しています。著作権はすべて動画の制作者に帰属します。

アメリカ独立宣言って何?なぜ独立したの?

アメリカ独立記念日の中心にあるのが、**アメリカ独立宣言(Declaration of Independence)**です。これは1776年7月4日、それまでイギリスの植民地だった13の州が、「もうイギリスには従わない!自分たちの国を作る!」と、世界に向けて高らかに宣言した歴史的な文書です。

なぜ独立したいと思ったの?

当時のイギリスは、植民地に対して高額な税金を課したり、自由を制限したりしていました。これに反発した人々が立ち上がり、「自分たちのことは自分たちで決める!」という強い思いを込めて、この宣言を採択したのです。

独立宣言の最も有名な一節には、こんな言葉が綴られています。

“We hold these truths to be self-evident, that all men are created equal, that they are endowed by their Creator with certain unalienable Rights, that among these are Life, Liberty and the pursuit of Happiness.”

(われわれは、以下の真理を自明のことと信じる。すなわち、すべての人間は平等に造られ、創造主によって、奪うことのできないある種の権利を与えられている。その中には、生命、自由、そして幸福の追求が含まれる。)

この言葉は、「人は皆平等であり、生まれながらにして奪うことのできない大切な権利を持っている」という、現代の民主主義の基礎となる考え方を示しています。自由と幸福を求めるすべての人々にとって、今も色あせない普遍的なメッセージですね。

独立宣言がされた場所と、そのメンバーは?

独立記念館(Independence Hall)

さて、この重要な独立宣言が採択され、署名された場所はどこだったでしょうか?

意外に思われるかもしれませんが、現在の首都であるワシントンD.C.ではありません。正解は、ペンシルベニア植民地のフィラデルフィアです!具体的には、ペンシルバニア植民地会議議事堂(現在の独立記念館、Independence Hall)と呼ばれる場所で、歴史的な決定がなされました。」

そして、この独立宣言に署名したのが、13の植民地から集まった56名の代表者たちです。

特に、独立宣言の草案作成に大きな役割を果たした「五人委員会(Committee of Five)」の主要メンバーをご紹介しましょう。この中で、主に宣言文を書き上げたのは、後の第3代大統領となるあの人物です。

  • トーマス・ジェファーソン (Thomas Jefferson) 独立宣言の主要な起草者で、後の第3代アメリカ合衆国大統領。彼の言葉がアメリカの礎を築きました。
  • ジョン・アダムズ (John Adams) 後の第2代アメリカ合衆国大統領。独立に向けて積極的に議論を牽引しました。
  • ベンジャミン・フランクリン (Benjamin Franklin) 科学者、発明家、政治家として多方面で活躍した「建国の父」の一人。彼の知恵と経験が独立に貢献しました。
  • ロジャー・シャーマン (Roger Sherman) アメリカ建国に関する主要な4つの文書すべてに署名した唯一の人物という稀有な存在です。
  • ロバート・リビングストン (Robert Livingston) 独立宣言の草案作成には関わりましたが、署名前にニューヨークに戻ったため、宣言書には署名していません。 後に駐仏公使として、重要な外交交渉も行いました。
とりしま
とりしま

ベンジャミン・フランクリンは100ドル紙幣のおっちゃんです。
100ドルのことを彼の名前で表現したりもします。
どこの国も一緒ですね、日本も一万円札を聖徳太子やゆきっつぁんっと呼んだりしませんでしたか?
今は渋沢栄一ですね。

ジョージ・ワシントンはなぜメンバーじゃない?

あれ?誰かいない?と思いませんでしたか?

アメリカ独立宣言を起草した「五人委員会」のメンバーには、ジョージ・ワシントンの名前はありません。それではなぜ、アメリカ初代大統領として有名なワシントンがこの重要な委員会の一員として参加していなかったのでしょうか?

ワシントンは当時、すでにアメリカ独立戦争の指導者として活躍しており、軍の指揮を取っていたため、政治的な活動からは距離を置いていました。そのため、彼は独立宣言の起草には関与せず、代わりに戦争の指導を優先したのです。
実際、独立宣言を起草した委員会のメンバーたちも、それぞれが重要な政治家や思想家であり、彼らの手によって新たな国家が誕生するための理念が形作られました。

だから独立宣言に「出席」しなかったの?

ジョージ・ワシントンは**アメリカ独立宣言の採択の場には「出席しなかった」わけではなく、彼がその場にいなかった理由は、その時彼はフィラデルフィアにいなかったからです。

当時、ワシントンはすでにアメリカ独立戦争の総司令官として軍を指揮しており、独立宣言が採択された1776年7月4日には、フィラデルフィアで開かれていた第二次大陸会議には参加していませんでした。軍の指揮を取るために、戦争の最前線にいることが重要だったため、戦争指導者としての任務を優先し、政治的な会議には参加しなかったのです。

そのため、ワシントンは独立宣言の署名には関わっていませんでしたが、後にアメリカ初代大統領としてその影響力を発揮し、アメリカ合衆国の歴史の中で非常に重要な役割を果たすこととなります。

少し意外かもしれませんが、彼の決断がアメリカの未来を形作ったと言えるわけです。

ワシントンは独立宣言の署名には関わっていない?

そうなんです、意外ですよね!
ジョージ・ワシントンアメリカ独立宣言の署名に関わっていないという事実は、実際かなり驚きです。

ワシントンが独立宣言の署名に関わらなかった理由として、彼が当時アメリカ独立戦争の総司令官として非常に重要な軍事任務を担っていたことが挙げられます。フィラデルフィアでの会議に参加するよりも、戦争の最前線で戦うことが彼の優先事項だったため、政治的な活動からは少し距離を置いていたんですね。

でも、ワシントンが独立宣言に署名しなかったことは、彼がその後のアメリカの建国にどれほど大きな影響を与えたかを考えると、なおさら不思議な感じがしますよね。結果として、ワシントンは戦争を指揮し、初代大統領としてアメリカの歴史に名を刻んだので、彼の役割は十分に大きかったとはいえますが!

驚きの事実ですが、だからこそアメリカ史は面白いですね!

ということは独立宣言って、戦争中にあったの?

そうなんです、独立宣言はアメリカ独立戦争の真っ最中にあったんです!実際、1776年7月4日独立宣言が採択された時、アメリカとイギリスの間ではすでに**独立戦争(アメリカ独立戦争)**が始まっていました。

どういうことかというと:

  • アメリカ独立戦争は、1775年に始まりました。その時点で、13の植民地はイギリスの支配から独立しようと決意し、実際に戦争が勃発していました。
  • 独立宣言が採択された1776年の時点では、戦争はすでに1年以上続いており、アメリカはイギリス軍と戦っていたのです。イギリスは、植民地が反乱を起こすことを許すわけにはいかず、戦闘は激化していました。
  • 独立宣言自体は、アメリカがイギリスの支配から完全に独立したことを世界に宣言する意味を持っており、その後の戦争は、イギリスからの完全な独立を勝ち取るための戦いとして続いていきました。

つまり、独立宣言は戦争中に行われた戦争の目的を明確にするための重要な文書だったわけです。独立戦争が続いている中で、アメリカ側が独立を正式に宣言したというのは、戦争の行方に大きな影響を与えました。

戦争の結果、1783年のパリ条約でアメリカは正式に独立を勝ち取ることになりますが、独立宣言はその第一歩として、非常に象徴的で重要な意味を持っているんですね!

戦争勝ってから宣言するならわかるけど、戦争中にするなんてすごいね。勝てそうってわかってたの?

本当にそうですよね!
戦争中に独立宣言をするなんて、かなり大胆で勇気のある決断でした。実際、アメリカが独立を宣言した時、勝てるかどうかは全く確信がなかったんです。

それでも宣言した理由は?

  1. イギリスの圧政に対する反発
    アメリカの植民地は、イギリスによる過酷な税金自由の制限に対して非常に強い不満を抱えていました。例えば、「代表なくして課税なし(No taxation without representation)」というスローガンが象徴するように、植民地はイギリス政府からの支配を強く拒否していました。戦争が続いている中でも、自由と自立を求める気持ちはますます強くなっていったんですね。
  2. フランスなどの支援を期待して
    アメリカは、戦争を勝ち抜くためにフランスなど他の国々の支援を望んでいたと言われています。独立宣言が出されることで、他国もアメリカの独立を支援する可能性が高まり、戦争に対する国際的な正当性が得られると考えられたのです。実際、フランスは後にアメリカ側に支援を行い、戦争の行方を大きく左右しました。
  3. 宣言が戦争の目的を明確にした
    独立宣言は、単に独立を求めるだけでなく、戦争の目的を明確にする意味もありました。つまり、戦争が単なる反乱ではなく、正当な独立戦争であることを世界に示したかったのです。これによって、アメリカの戦争はただの反乱ではなく、独立を目指す正義の戦いとして、道義的な支持を集めることができました
  4. 士気を高めるため
    戦争の最中、アメリカの兵士たちは必ずしも戦意が高いわけではなく、戦争が長引く中で疲れや不安もありました。独立宣言は、アメリカ側の士気を高めるためにも重要だったと考えられます。自由と独立を勝ち取るための強いメッセージとして、兵士たちに目的を与え、戦い続ける力を与える役割も果たしたんですね。

結果的に

アメリカは宣言後も数年にわたって戦争を続け、最終的に1781年にヨークタウンの戦いでイギリスを破り1783年にパリ条約で正式に独立を認めてもらいました。

だから、当時のアメリカ人たちが勝てるかどうか分からない中で独立宣言を出したのは、まさに希望と覚悟の賭けだったと言えるでしょう。それでも、自由と独立を信じ、戦い抜いた結果、勝利を収めたわけです!

じゃあなんでワシントンが初代大統領になったの?みんなやりたくなかったの?

実は、ワシントンが初代大統領に選ばれた理由は、単に彼が人気だったからというだけではありません。
むしろ、当時、大統領という役職がどんなものになるかはまだ完全に明確ではなかったため、実は誰もその責任を引き受けたくなかったというのが本音だったんです。

ワシントンが選ばれた理由

  1. 戦争の英雄としての信頼
    ワシントンはアメリカ独立戦争の総司令官として、独立を勝ち取った立役者です。彼の指導力と勇気は、アメリカ人から絶大な信頼を得ており、新しい国のリーダーとして最も適任だと考えられました。戦争を通じて、彼は民衆から**「アメリカの父(Father of the Nation)」**として慕われていました。
  2. 政治的な中立性
    当時、アメリカはまだ新しい政府の形を模索していた時期であり、ワシントンは政治的な党派に属していないことで、さまざまな意見を持つ人々の間で中立的な存在として信頼されていました。つまり、彼はみんなが納得する存在だったわけです。
  3. 初代大統領の役割が未知だったため
    新しい政府の形として、初代大統領の役割は非常に不確かでした。当時、アメリカの政治家たちは、大統領職がどのような権限を持つべきか政府の機構がどう機能すべきかに関して、はっきりとしたイメージを持っていませんでした。そのため、大統領職に対する恐れや不安があったのです。ワシントンはそのような不安を払拭するため、「みんなをまとめる存在」として指名されたという側面があります。

みんなやりたくなかった?

実は、多くの政治家や指導者は、ワシントンが大統領になった理由と同じようにその責任の重さを恐れていました。ジョン・アダムズ(後の第2代大統領)なども、初代大統領というポストに対して非常に大きなプレッシャーを感じていたことがわかっています。アメリカがまだ成立したばかりで、政府がどれだけ機能するかも不確実な中で、リーダーシップを取るのは並大抵のことではなかったのです。

そのため、ワシントンが大統領に選ばれた際、彼はその責任を果たす覚悟を決めたのですが、最初は自らそのポジションに就くことに慎重だったとも言われています。それでも、彼のリーダーシップ国民からの圧倒的な支持に後押しされて、最終的にアメリカ合衆国の初代大統領として選ばれたわけです。

結局、ワシントンは初代大統領としての役割を見事に果たし、アメリカの基盤を築く上で欠かせない存在となりましたが、初めはその重責を誰も望んでいなかった、という背景があるんですね!

ワシントンは戦争してたんでしょ?五人委員会(Committee of Five)と連携取れてたの?

そうですね、ワシントンは戦争指揮を取っていたため、五人委員会(Committee of Five)との直接的な連携はありませんでした。実際、ワシントンはアメリカ独立戦争の総司令官として、フィラデルフィアでの政治的な活動には関わらず、戦争の戦局を指揮していました。

ワシントンと五人委員会との関係

  • 五人委員会は、独立宣言の草案を作成するために、第二次大陸会議で選ばれた5人の委員です。彼らは主に政治的なリーダーであり、戦争の指揮を取る立場ではなかったため、軍事的な問題にはあまり関与していませんでした
  • ワシントンは戦争の指揮に集中していたため、独立宣言の内容を決定するような政治的な議論には参加していませんでした。その代わり、彼は戦争の最前線にいたので、戦局を有利に進めるために戦略を立てたり、部隊を指導することに注力していました。

ワシントンと委員会の連携は?

そのため、ワシントンは直接的に五人委員会と連携を取っていたわけではありませんが、もちろん間接的には影響を与えていたと言えます。

  • 独立宣言が採択されたことで、アメリカの戦争はより正当化され、国際的に支援を受けるための重要な一歩となったため、ワシントンもその効果を受けたことになります。
  • また、五人委員会のメンバーであったジョン・アダムズは、ワシントンを支持し、彼を軍の総司令官として任命した人物です。このことからも、ワシントンと五人委員会は間接的に連携を取っていたと言えるでしょう。

つまり、ワシントンが直接的に五人委員会と連携していたわけではなく、彼の主な任務は戦争の指揮だったものの、政治的な影響と戦争指導が同時進行していたという形です。

じゃあ、ワシントン、えーーーー?宣言した?ってギョッとした可能性ある?

ジョージ・ワシントンは、独立宣言が採択されたことを知って「え、ついに!?」と期待と、それに伴う計り知れない重圧を感じたに違いありません。彼は、イギリスとの和解が不可能であることを肌で感じており、植民地が団結して独立を目指す必要性を誰よりも強く認識していました。だからこそ、独立宣言は彼が心底から待ち望んでいた知らせだったはずです。

しかし、その「待ち望んだ瞬間」は、同時に総司令官としての彼の肩に、さらなる重責を負わせるものでもありました。

ワシントンの立場から考えると:

  1. 戦争の結果が不確かだった
    ワシントンは当時、アメリカ独立戦争の総司令官として戦争の最前線にいました。イギリス軍は強大で、アメリカ側は戦争初期には勝利を重ねていたものの、独立宣言が出される時点では、戦局がどうなるかは分からなかったわけです。そんな中で**「正式に独立を宣言する」**という大きな一歩を踏み出すのは、かなりのリスクを伴う決断です。
  2. 国際的な支援を期待する気持ち
    ワシントンは、アメリカが独立戦争を戦い抜くためにフランスなどの外国の支援を期待していたことは明白です。独立宣言を出すことで、その支援を得るための正当性が増すだろうという期待があったと思いますが、同時に**「もし支援が得られなかった場合、戦争が長引き、アメリカが敗北するリスク」もあったわけです。だからこそ、ワシントンは宣言に対する慎重な姿勢**を取っていた可能性もあります。
  3. 戦争中に政治的決断を下す不安
    ワシントンは政治的な決定に対して、軍事的な視点から慎重だったでしょう。独立宣言を出すことで、戦争が**「反乱」ではなく「独立戦争」**として位置づけられる一方で、戦争を続ける理由や目的がより明確になったとはいえ、その後の戦争がどうなるか分からない状況で、戦局が一層厳しくなる可能性もあったわけです。

それでもワシントンが受け入れた理由

ワシントンが最終的に独立宣言を受け入れた(というか、支持した)理由は、やはりアメリカ人としての自由と独立の追求が一番の原動力だったと思います。独立宣言がアメリカの戦争の正当性を世界に示し、最終的にはフランスなどの支援を得るための重要なステップだったからこそ、彼は政治的決断を受け入れ、宣言の実行を支持したのでしょう。

だから、ワシントンが宣言が出されたことに驚いたり不安を感じたりした可能性は十分ありますが、その後の戦局がどうなるかを考えつつ、アメリカの独立に向けた覚悟を固めていたという感じだったのではないでしょうか。

ふーん、そんで戦争終わってから1月20日に就任したんか

違います!
戦争が終わってから、ワシントンは4月30日に大統領に就任するんですけど、その背景もなかなか興味深いです。

戦争が終わった後のワシントン

  • 1781年、アメリカはヨークタウンの戦いでイギリス軍に決定的な勝利を収め、実質的に戦争が終結しました。しかし、正式な講和条約であるパリ条約が結ばれたのは、1783年のことです。
  • パリ条約が結ばれた後、アメリカは独立を正式に認められました。ワシントンはその後、軍の総司令官としての任務を終え、1783年12月23日に退役を表明します。この退役が、アメリカの新しい政府の成立に向けての一歩となったわけです。

ワシントンの大統領就任

ワシントンが初代大統領に就任したのは、1789年4月30日です。1月20日じゃないの?と思った方、もしかしたら就任前の準備段階大統領選挙の投票結果などと混同されているかもしれません。

1788年に行われた選挙で、ワシントンは全会一致で大統領に選ばれ、その後、1789年4月30日にニューヨークで就任宣誓を行い、アメリカの初代大統領として正式に任務を開始しました。

ワシントンの就任にあたっては、彼が非常に強いリーダーシップを発揮することが期待されていたため、アメリカ人にとっては非常に大きな意味を持つ瞬間でした。

つまり、戦争終結から大統領就任までには数年の時間があり、その間に新しい政府の枠組みが整えられ、ワシントンは初代大統領としてアメリカを導く準備を整えていったわけです。

大統領就任からは、アメリカの政府がしっかりと立ち上がり、今のアメリカ合衆国の礎を築いていったのです!

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あれ、独立宣言の翌年にワシントン就任してないの?

確かに、独立宣言が出された1776年と、ワシントンの大統領就任が行われた1789年はかなりの差があります。

具体的な流れは以下の通りです(おさらい):

  • 1776年
    独立宣言(1776年7月4日)

    アメリカが正式にイギリスからの独立を宣言した日です。この時点で独立戦争は進行中で、まだ戦争が続いていました。

  • 1781年
    ヨークタウンの戦い(アメリカ独立戦争の実質的な終結)

    アメリカがイギリスに勝利し、戦争が終結します(ヨークタウンの戦い)。しかし、正式な条約(パリ条約)での独立認定はまだ数年後。

  • 1783年
    パリ条約で正式に独立

    アメリカが独立を正式に認められ、戦争が終わったことが確認されます。

  • 1787年
    1787年:アメリカ合衆国憲法制定

    新しい国家の枠組みとなるアメリカ合衆国憲法が制定されました。これは後の大統領選出の基盤となります。

  • 1789年
    ワシントンの大統領選出と就任

    1789年にアメリカ合衆国憲法に基づく初の大統領選挙が行われ、ジョージ・ワシントンが初代大統領に選出され、同年4月30日に就任しました。

じゃあその間誰が仕切ってたの?

独立宣言が出されてから、ワシントンが大統領になるまでの約13年間、アメリカを「仕切っていた」のは、一言でいうと**「みんなで話し合って決める、ちょっと頼りない政府」**でした。

「頼りない政府」ってどういうこと?

この時期のアメリカは、イギリスからの独立を勝ち取ったばかりで、まだ新しい国の形を模索している段階でした。現代の日本やアメリカのように、強力なリーダーシップを持った大統領がいて、国全体をグイグイ引っ張っていくような仕組みは、まだなかったんです。

具体的には、こんな風に国を運営していました。

  • 最初は「第二次大陸会議」が中心独立戦争中は、アメリカの代表者たちが集まる「第二次大陸会議」という会議が、実質的な政府の役割を果たしていました。彼らが独立宣言を採択したり、ジョージ・ワシントンを軍のリーダーに任命したりと、戦争を進めるための大事な決定を下していました。
  • 戦争が終わると「連合規約」がスタート戦争に勝ってイギリスから独立を認められると、「連合規約(Articles of Confederation)」という、今でいう憲法のようなものが作られました。これにより、アメリカは正式に「合衆国」となるわけですが、この規約のもとでの政府は、とても**「州の力が強くて、中央の力が弱い」**という特徴がありました。
    • 各州が独立国家のようだったまるでバラバラの国がいくつか集まって「とりあえず協力しようか」と言っているような状態で、それぞれの州が独自の法律を持ち、自分たちのことを自分たちで決めていました。
    • 中央政府に「大統領」はいなかった現代のような、国を代表する大統領という役職はありませんでした。会議の「議長」はいましたが、強い権限は持っていなかったんです。そのため、お金の問題や、州と州の間の争いごとが起きても、中央政府がなかなか解決できないという課題を抱えていました。

なぜこんな「頼りない」状態だったの?

これは、以前イギリスの強い王権に苦しめられた経験があったため、「中央に強い権力を持たせると、また抑圧されるかもしれない」という考えが根強かったからです。ですから、あえて各州に大きな権限を持たせ、中央政府の力を弱くする仕組みを選んだんですね。

しかし、この「頼りない政府」では、国全体をうまくまとめるのが難しいと分かってきました。そこで、もっと強い中央政府の必要性が議論されるようになり、最終的にアメリカ合衆国憲法が作られ、ジョージ・ワシントンが初代大統領に就任することで、今の「大統領が国を率いるアメリカ」の形が始まった、というわけです。

この「みんなで話し合って決める、ちょっと頼りない政府」の時代があったからこそ、今のアメリカの仕組みがあるんだな、と感じていただければと思います。

じゃあやっぱこの戦争中の独立宣言ってすごくない?

本当にすごいですよね!戦争中に独立宣言を出すというのは、非常に大胆で勇気ある決断です。

そのすごさのポイントは以下の通りです:

  1. 勝算が不確かな中での宣言
    • アメリカは独立宣言を出した1776年の時点では、戦争の結果がどうなるか全く分かっていませんでした。イギリスの軍は強大で、アメリカの軍は経験が浅く、物資や戦力が不足していました。そんな中で、独立宣言を出すことは、**「負けるかもしれない戦争をさらに激化させる」**というリスクを取ることになります。
  2. 国際的な支持を得るための戦略
    • もしアメリカが独立を宣言し、戦争を続けるなら、国際的な支援が必須でした。独立宣言を出すことで、フランスやスペインなどの他国からの支援を期待する意味もありました。これがうまくいき、フランスの支援がアメリカにとって決定的に重要なものとなり、最終的に独立を勝ち取ることができました。
  3. 独立の正当性を宣言した
    • 独立宣言は、アメリカが単なる反乱ではなく、自らの独立を宣言する正当な戦争を行っているということを世界に示すための重要な文書でした。それにより、アメリカは独立戦争を続ける意味があり、新しい国として立つための道筋を示しました。
  4. 士気の高揚
    • 戦争中、アメリカの兵士や市民は戦局に不安を感じていました。独立宣言が出されることで、戦争の目的が明確になり、アメリカの民間人や軍人たちの士気が高まりました。「自由と独立」を求める戦いという意識が、アメリカ人を一つにまとめ、戦い続ける原動力となったのです。

戦争中に独立宣言を出すというのは、リスクを伴う大胆な決断でしたが、それがアメリカの自由と独立を象徴する瞬間となり、世界に向けてアメリカの立場を強く示したことがその後の勝利に繋がったんです。まさに歴史に残る決断でしたね!

とりしま
とりしま

近年世界各地で紛争が起こっていますが、想像してみてください。
勝てないかもしれない戦争中に独立宣言してしまうアメリカの根性。
最近のアメリカは好きではありませんが、この頃はガッツに溢れてステキだなぁと思います。

独立記念日の意味とその後の影響

アメリカの独立記念日、つまり7月4日は単なる祝日ではありません。この日は、アメリカが自由と独立を勝ち取るために戦い、世界に新しい形の政府の可能性を示した瞬間です。アメリカ独立宣言は、世界中の他の国々にも大きな影響を与え、その後の歴史に深い足跡を残しました。

1. 自由と平等の理念

独立宣言に記された「すべての人間は平等に造られ、創造主によって奪うことのできない権利を与えられている」という言葉は、アメリカだけでなく、世界中の人々に自由と平等の重要性を再認識させました。この理念は、後に多くの国々が追い求める民主主義の礎となり、アメリカの革命的な精神を象徴するものとして今も息づいています。

2. その後の戦争と独立

独立記念日が誕生した背景には、イギリスとの戦争(アメリカ独立戦争)がありました。独立宣言をきっかけに、アメリカはイギリスとの戦いに挑み、最終的にアメリカの独立を勝ち取ります。この戦争は、アメリカが自国の未来を切り開くために立ち上がった象徴的な出来事であり、その後の新しい国づくりに大きな影響を与えました。

3. アメリカの成長と世界的影響

アメリカ独立記念日は、単なる過去の出来事にとどまらず、現在のアメリカの国家としてのアイデンティティを形成するうえで欠かせない日となっています。さらに、アメリカは独立から数世代にわたり、その理念を基盤に、世界的に強力な影響力を持つ国に成長していきました。

また、アメリカの成功が他国に刺激を与え、革命民主主義の拡大を促進しました。例えば、フランス革命やラテンアメリカの独立運動などは、アメリカの独立精神に影響を受けたと言われています。

アメリカ独立記念日を祝う気持ちを深く理解しよう

アメリカの独立記念日は、ただの歴史的な出来事ではなく、アメリカ人にとっては自由、独立、そして民主主義という根本的な価値を再確認する日です。毎年7月4日、アメリカ全土で行われる祝賀イベントや花火大会、パレード、そしてスーザの音楽が奏でられる中で、アメリカ人はその誇りを持ってこの日を祝います。

アメリカは建国以来、世界中にその理念を広め続けてきました。独立記念日は、その精神を今後も大切にし、次世代へと受け継いでいくことを誓う日でもあります。

英語学習者の皆さんも、この日を機にアメリカの歴史をより深く学び、言葉の背後にある思想や文化を理解することで、英語がより身近に感じられることでしょう。アメリカの文化や価値観を知ることは、英語を学ぶ上でとても大切な一歩です。さあ、今年の7月4日、アメリカの独立記念日を一緒に祝ってみませんか?

とりしま

オンライン英会話で日本人講師として活動中。TESL保有。
私自身、英会話力を身につけるまでにかなり時間がかかりました。
語学留学→現地採用→アメリカで起業と、試行錯誤の連続。
今は“地球のどこか”で、同じように悩む大人の英語学習をサポートしています。
2025年には英検準1級(1か月準備)に合格。世界遺産検定4級も取得。
好きなワインはジンファンデル。血液型はA型です。
現在は、第三か国語としてトルコ語もゆるく学習中です。

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